《第七章》厳しい人生の試練を経験した霊 / 天国と地獄《Ⅱ》

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(1)自分がしてもらいたいことを他の人にせよ――スジメル・スリズゴル



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(2)障害と貧困の生涯から学んだこと――ジュリエンヌ=マリ



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(3)生きたまま埋葬された男性――アントニオ・B氏

アントニオ・氏は、才能に恵まれた作家であり、多くの人々から尊敬されていた。ロンバルディア地方における名士であり、清廉かつ高潔な態度で公務を果たしてもいた。
 一八五〇年、脳卒中の発作を起こして倒れた。実際には死んでいなかったのだが、人々は――ときどきあることだが――彼を死んだものと見なした。特に、体中に腐敗の兆候が現れたために、その思い違いが決定的となったのである。
 埋葬後二週間してから、偶発的な態度から、墓を開くこととなった。娘が大切にしていたロケットを不注意によって棺(ひつぎ)の中に置き忘れたことが判明したのである。
 しかし、棺が開けられたとき、列席者のあいだにすさまじい衝撃が走った。なんと、故人の位置が変わっていたのだ。仰向けに埋葬した体が、うつぶせになっていたのである。そのため、アントニオ・氏が、生きたまま埋葬されたことが明らかとなった。飢えと絶望に苛(さいな)まれつつ亡くなったことは間違いなかった。
 家族の要請で、一八六一年に、パリ霊実在主義協会において招霊されたアントニオ・氏は、質問に対して次のように答えた。

――招霊します……。

 「何の用事でしょうか?」

――ご家族の要請があってお呼びしました。ご質問にお答えいただけると、たいへんありがたいのですが、どうぞよろしくお願いします。

 「よろしい。お答えしましょう」

――死んだときの状況を覚えていらっしゃいますか?

 「ええ、覚えていますとも! よく覚えていますよ! しかし、どうして、あの忌(い)まわしいことを思いださせるのですか?」

――あなたは、間違って、生きたまま埋葬されたのでしたね。

 「ええ、でも無理もなかったのです。というのも、あらゆる兆候から、本当に死んでいるように見えたのですから。体も、完全に血の気を失っていました。実は、生まれる前からああなることに決まっていたのです。したがって、誰も悪くないのです」

――こうした質問がぶしつけであれば、中止いたしますが。

 「続けて結構ですよ」

――あなたが、現在、幸福かどうかを知りたいのです。というのも、生前、立派な方として多くの人に尊敬されていたからです。

 「ありがとうございます。どうか、私のために祈ってください。
 では、答えることにいたしましょう。精一杯、頑張るつもりですが、うまくいかなかった場合には、あなたの指導霊たちが補ってくださることでしょう」

――生きて埋葬されるというのは、どんな気持ちがするものですか?

 「ああ、本当に苦しいものですよ。棺に閉じ込められて埋葬される! 考えてもみてください。真暗で、起き上がることも、助けを呼ぶこともできない。声を出しても、誰にも届かないのです。そして、すぐに呼吸も苦しくなってくる……。空気がなくなるのです……。何という拷問でしょう! こんなことは、ほかの誰にも体験させたくありません。
 冷酷で残忍な人生には、冷酷で残忍な処罰が待っているということなのです……。私が何を考えてこんなことを言っているかということは、どうか聞かないでください。ただ、過去を振り返り、未来を漠然とかいま見ているのです」

――「冷酷な人生には冷酷な処罰が下される」とおっしゃいましたね。しかし、生前のあなたの評判は素晴らしいものだったではないですか? とてもそんなことは考えられません。もし可能なら、ご説明いただけませんか?

 「人間の生命は永遠に続いているのですよ。
 確かに、私は、今回の人生では、よき振る舞いを心がけました。しかし、それは生まれる前に立てた目標だったのです。
 ああ、どうしても、私のつらい過去について話さなくてはならないのでしょうか? 私の過去は、私と高級諸霊しか知らないのですが……。
 どうしても話せというのなら、しかたがない、お話ししましょう。私は、実は、今回よりも一つ前の転生において、妻を生きたまま狭い地下倉に閉じ込めて殺したことがあるのです。そのために、今回の人生で、同じ状況を引き受けたということなのです。〈目には目を、歯には歯を〉ということです」

――ご質問にお答えくださり、本当にありがとうございました。今回の人生に免じて、過去の罪を許してくださるように、神にお祈りいたしましょう。

 「また来ます。エラスト霊がもう少し補って説明したいようです」

 霊媒の指導霊であるエラスト:「このケースから引き出すべき教訓は、『地上におけるすべての人生が互助に関連している』ということでしょう。心配、悩み、苦労といったものは、すべて、まずいことを行った、あるいは、正しく過ごさなかった過去世の結果であると言えるのです。
 しかし、これは言っておかねばなりませんが、このアントニオ・氏のような、ああした亡くなり方は、そんなに多く見られるわけではありません。彼が、何一つ非難すべきことのない人生を終えるにあたって、ああいう死に方を選んだのは、死後の迷いの時期を短縮して、なるべく早く、高い世界に還るためだったのです。
 事実、彼の犯した恐るべき罪を償うための、混乱と苦しみの期間を経たあとに、初めて彼は許され、より高い世界に昇っていくことができたのです。そして、そこで、彼を持っている犠牲者――つまり、奥さんのことですが――と再会を果たしたのです。奥さんは、すでに彼のことはずいぶん前から許しています。
 ですから、どうかこの残酷な例によく学んで、あなたがたの肉体的な苦しみ、精神的な苦しみ、さらには人生のあらゆるこまごまとした苦しみを、辛抱強く耐え忍ぶようにしてください」


――こうした処罰の例から、人類はどんな教訓を引き出せばよいのでしょうか?

 「処罰は、人類全体を進化させるために行われるのではなくて、あくまでも、罪を犯した個人を罰するために行われるのです。実際、人類全体は、個人個人が苦しむこことは何の関係もありません。罰は、過ちに対して向けられるものだからです。
 どうして狂人がいるのか? どうして愚かな人間が存在するのか? どうして、死に際して、生きることも死ぬこともできずに、長いあいだ断末魔の苦しみにさらされる人がいるのか?
 どうか、私の言うことを信じ、神の意志を尊重し、あらゆることに神の思いを見るようにしてください。よろしいですか? 神は正義です。そして、すべてのことを、正義に基づいて、過つことなくなさるのです」


 この例から、われわれは、偉大な、そして恐るべき教訓を引き出すことができる。それは「神の正義は、一つの例外もなく、必ず罪人に裁きを下す」ということである。
 その時期が遅れることはあっても、断罪を免れるということはあり得ない。大犯罪人たちが、ときには地上の財物への執着を放棄して、心静かに晩年を送っていたとしても、償いのときは、遅かれ早かれ、必ずやってくるということなのだ。
 この種の罰は、現実にこうして目の前に見せられることで納得できるものとなるが、それだけではなくて、完全な論理性を備えているがゆえに、また理解しやすくもあるのだと言えよう。理性に適(かな)ったものであるがゆえに信じることができるのだ。
 尊敬すべき立派な人生を送ったからといって、それだけですべてを償うことができ、厳しい試練を免れることができるとは限らない。償いを完全に果たすためには、ある種の過酷な試練をみずから選び、受け入れなければならないこともあるのだ。それらは、いわば、借金の端数であって、それらをしっかり払い切ってこそ、進歩という結果が得られるのである。
 過去幾世紀にもわたって、最も教養のある、最も身分の高い人々が、正規に堪(た)えない残虐な行為を繰り返してきた。数多くの王たちが、同胞の命を弄(もてあそ)び、権力をふるって無辜(むこ)の民を虐殺してきた。
 今日、われわれとともに生きている人間の中に、こうした過去を清算しなければならない人々がたくさんいたとしても、何の不思議があるだろうか? 個別の事故で亡くなったり、大きな災害に巻き込まれて亡くなったりと、数多くの人々が亡くなっているのも、別に不思議なことではないのかもしれない。
 中世、そして、その後の数世紀のあいだに、独裁政治、無知、傲慢、偏見などが原因で、数多くの罪が犯された。それらは、現在そして未来への膨大な量の借金となっているはずである。それらは、いずれにしても返さなければならない。
 多くの不幸が不当なものに見えるのは、いまという瞬間しか視野に入らないからなのである

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(4)沸騰したニスを全身に浴びて亡くなった男性――レティル氏

 パリの近郊に住んでいた家具製造業者のレティル氏は、一八六四年四月に、たいへん悲惨な死に方をした。
 沸騰(ふっとう)していたニスの窯(かま)に引火し、そのニスがレティル氏の上にまともにこぼれかかってきたのである。氏は一瞬のうちに炎に包まれた。作業場には、氏以外に一人だけ見習い工がいたが、氏はその見習い工に支えられて、二百メートルほど離れた自宅に帰り着いた。すぐに応急手当がなされたが、体は焼けただれ、まるでぼろ布のようになっていた。体の一部の骨と、顔面の骨が露出していた。
 その恐るべき状態で、死の瞬間まで、まったく意識を正常に保ったまま、仕事の指示をあれこれ出しながら、氏は十二時間のあいだ生きつづけた。このひどい苦しみのあいだ、氏は、ひとことも弱音を吐(は)かず、「苦しい」とも「痛い」とも言わず、最後は神に祈りながら亡くなった。
 柔和(にゅうわ)で思いやりのある、立派な人であった。氏を知る人々は、みな、氏を愛し、尊敬していた。
 霊実在論を熱烈に支持していたが、あまり熟考を重ねるタイプではなく、また、自分自身、霊媒の資質を持っていたので、数多くの霊現象に見舞われ、危うく翻弄(ほんろう)されそうになったこともある。しかし、最後まで霊実在論の信仰を捨てなかった。霊たちの言うことを信じる点においては、少々行きすぎもあるのではないかと思われるほどであった。
 死後数日してから、一八六四年四月二十九日に、パリ霊実在主義協会で招霊された。まだ事故の生々しさが記憶から消えていなかったが、そうした状況で、次のようなメッセージが送られてきた。

 「深い悲しみに襲われています。あの悲劇的な事故による恐怖がまだ消えておらず、いまだに死刑執行人が振り上げた刀の下にいるような気がします。
 ああ、何という苦しみだったでしょう! まだ震えが止まりません。焼かれた肉のひどいにおいが、まだまわりに漂っているような気がします。十二時間にも及んだ断末魔の苦しみ! 罪ある霊にとって、何という試練だったことでしょう。それでも、ひとことも弱音を吐かず、苦しみに耐えたのです。それをご覧になった神は、きっと罪を許してくださるでしょう。
 愛する妻よ、どうか泣かないでおくれ。苦しみは治まりつつあります。実際にはもう苦しんでいません。記憶が現実を作り出しているように思われるだけなのです。
 霊実在論に関する私の知識が非常に役立ちました。もし、この尊い知識がなかったら、いまだに私は、死んだときの錯乱から抜け出せていなかったでしょう。
 しかし、最後の息を引き取って以来、ずっとそばに付いてくれている存在があります。いまでは、すぐそばにいるのが見えます。最初は、苦しみのあまり錯乱して、幻覚を見ているのではないかと思っていましたが……。そうではなく、それは私の守護霊だったのです。静かに、優しく私を見守り、直接、心に語りかけて慰めてくれます。
 私が地上から去るや否や、彼はこう語りかけてきました。
 『さあ、こちらにいらっしゃい。朝がやってきたのですよ』
 呼吸がずいぶん楽になり、まるで悪夢から抜け出したかのようでした。
 私は、私に尽くしてくれた愛する妻のこと、そして、かの健気(けなげ)な子供のことを語りました。すると、守護霊は言いました。
 『彼らは全員まだ地上にいて、あなたはこうして霊界にいます』
 私はもといた家を探しました。守護霊が付き添って、連れていってくれました。みんなが涙に掻(か)き暮れているのが見えました。私が去ったばかりの家の中は、すべてが喪(も)の悲しみにひたされていました。
 あまりのつらさに、その光景をみつづけることができず、私は守護霊に言いました。
 「もうこれ以上、耐えられません。さあ、行きましょう」
 『そうですね。そうしましょう。そしてしばらく休みましょう』と守護霊は言いました。
 それから、私の苦しみは安らぎました。悲しみに暮れている、私の妻と友人たちの姿さえ見えなければ、ほとんど幸福だと言ってもいいくらいでした。
 守護霊が、どうして私があれほど苦痛に満ちた死に方をしなければならなかったのかを教えてくれましたので、それを、これから、あなたがたの後学(こうがく)のために語ってみましょう。
 いまから二世紀ほど前、私は、若い娘を火刑台で死刑にしました。年のころは十三歳、当然のことですが、純真で無実の娘でした。いったいいかなる罪を着せたのでしょうか?
 ああ、教会に対する陰謀(いんぼう)の共犯者として彼女を捕えたのです。私はイタリア人で、異端審問官だったのです。死刑執行人たちは、汚(けが)らわしいと言って、娘の遺体に触ろうとさえしませんでした。私自身、審問官であり、かつまた死刑執行人でもありました。
 ああ、正義、神の正義は偉大なり! 私はその神の正義に従って、今回の惨事を耐え忍んだのです。私は『人生最後の苦しみとの戦いの日に、ひとことも弱音を吐かない』と誓い、それを守り通しました。私は黙ってじっと耐え、そして、おお、神よ、あなたはそれをご覧になって私を許された!
 あの哀れな娘、無実の犠牲者の思い出は、いつ私の記憶から消えるのでしょうか? その思い出が私を苦しめるのです。それが完全に消えるためには、彼女が私を許す必要があるのですね。
 ああ、新たな理論、霊実在論を信じる子供たちよ、あなたがたはよくこう言います。『私たちは、過去の転生でやったことを覚えていない。もしそれを覚えていれば、用心して、数多くの過ちを避けることができるのに』と。
 しかし、神に感謝しなさい。もしあなたがたが過去世での記憶を保持していたとしたら、地上において、一瞬たりとも安らぎを感じることができなくるのですよ。悔恨(かいこん)や恥の思いに絶えず付きまとわれたとしたら、ほんの一瞬でも心の安らぎを感じられると思いますか?
 したがって、忘却とは恩寵(おんちょう)なのです。記憶こそが、霊界では拷問なのですよ。
 もう何日かすれば、苦しみに耐えた私の我慢強さに対する報いとして、神は、私から、過ちの記憶を消してくださるでしょう。それこそが、守護霊が私にしてくれた約束なのです」

 今回の転生で、レティル氏が示した性格の特徴を見れば、氏がどれほど進化した魂であるかが分かるだろう。彼の生き方は、彼の悔い改め、そしてそれに伴う決意の結果であったのである。
 しかし、それだけではまだ充分ではなかった。さらに、彼が他者に経験させたことを、みずから実際に経験する必要があったのである。そして、その恐るべき状況において耐え忍ぶということが、彼にとって最も大きな試練となった。しかし、幸いなことに、氏はそれを何とか乗り切った。
 霊実在論を知ることによって、死後の世界への確信が生まれたことが、氏の勇気の源泉となったことは間違いない。「人生上の苦しみは、試練であり、償いである」ということを知っていたために、弱音を吐かずに素直に受け入れることができたのである。

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(5)知的障害があっても霊には正常な思考力がある――シャルル・ド・サン=G

 一八六〇年、パリ霊実在主義協会にて。
 シャルル・ド・サン=は十三歳の知的障害児で、知性がまったく発達しておらず、自分の両親が誰かも分からなかった。また、一人で食事をすることさえできなかった。体の発育も、小さいときにまったく止まってしまっていた。(訳者注:以下は、この生きている子供の霊を招霊したときの記録)。

――(聖ルイの霊に対して)この子供の霊を招霊したいのですが、よろしいでしょうか?

 「そうですね、死者の霊を招霊するのと同じように、この子の霊を招霊することは可能です」

――ということは、いつでも招霊が可能だということですか?

 「そのとおりです。魂は霊子線で肉体と結びついており、いつでも招霊することが可能です」

――シャルル・ド・サン=の魂を呼びます……。

 「私は体を通して地上に縛りつけられた哀(あわ)れな霊です」

――霊体としてのあなたは、今世(こんぜ)、自分が知的障害を持った人間として地上に生きていることを、意識していますか?

 「もちろんです。とらわれの身であることは感じています」

――あなたの肉体が寝ているとき、あなたは霊として肉体から離脱すると思うのですが、そのとき、あなたは、霊界にいたときのように、澄んだ意識でいられるのですか?

 「私の哀れな肉体が休んでいるとき、私は自由になり、霊界へと上がっていって一息つくのです」

――現在のような不自由な肉体に宿っていることを、霊として、つらいと感じますか?

 「もちろんです。これは罰なのですから」

――ということは、過去世についての記憶があるということですか?

 「ありますとも。前回の転生で、現在の地上への追放の原因をつくったのです」

――どんな生き方をしたのですか?

 「アンリ三世の治世下、私は若い自由思想家でした」

――あなたは「現在の境涯は罰である」とおっしゃいました。ということは、ご自分で選ばれたわけではないのですね?

 「はい、私が選んだわけではありません」

――現在のような人生を送ることが、どうして進化に役立つのでしょうか?

 「神が私にそれを課した以上、私にとってそれが役に立たないということはあり得ないのです」

――今回の地上の人生はいつまで続くかご存知ですか?

 「分かりません。ただ、あと数年もすれば、故郷に還れるのではないかと思っています」

――前回の転生が終了し、今回の転生が始まるまで、霊界では何をしていたのですか?

 「私は軽はずみなことをしでかしましたので、ある場所に閉じ込められて反省しておりました」

――通常の意識状態のとき、あなたはまわりで起こっていることを自覚していますか? 内的器官はあまり発達していないわけですが。

 「霊としては、見ることも、聞くこともできます。しかし、私の体は何も理解できせんし、何にも見ることができません」

――あなたのために、私たちに何かできることはありませんか?

 「何もありません」

――(聖ルイの霊に対して)肉体に宿って地上にいる霊のために祈った場合、肉体から離脱して迷っている霊に対するのと同じような効果はあるのですか?

 「祈りは、神のとっては常によきものであり、神のお気に召します。この哀れな霊のために祈った場合、現状は変化しませんが、将来、必ず役に立ちます。神がそれを考慮に入れてくださるからです」

 この招霊によって、知的障害児についてずっと言われてきたことが事実であるということが確かめられた。すなわち、彼らは肉体を備えた人間としては知的能力を欠いているが、霊としてはまったく正常で、その能力には何の欠陥もない。肉体器官に欠陥があるために、考えていることをしっかり表現できないだけなのだ。屈強な男が、縄(なわ)でがんじがらめに縛られているようなものだと思えばよい。

 パリ霊実在協議会において、すでに亡くなって霊界にいる、霊媒の父親のピエール・ジューティから、知的障害児に関し、次のような情報が与えられた。

 「優れた能力を地上において悪用した者が、次の転生で、知的障害児として過ごすことになる場合があります。彼らの魂は、欠陥のある肉体に閉じ込められ、自分の考えを自由に表現できないことになります。精神的、肉体的に不自由な、この状態は、地上における罰のうちで最も厳しいものです。こうした試練は、みずからの過ちを償おうとする霊にとって、しばしば選択されることがあります。
 この試練には意味がないわけではありません。というのも、肉体に閉じ込められている霊自身は、あくまでも正常だからです。霊は、かすんだ目を通して見、弱った頭脳を通して考えるのですが、言葉や視線を使って、考えたことを表現することができません。
 悪夢の中で「危険に遭遇し、助けを呼ぼうとしても舌が口の奥に張りついて声が出ず、逃げようとしても足の裏が地面に吸いついて足が動かない」という状況を体験したことがあると思いますが、ちょうどあのようなものだと思えばよいでしょう。
 身体障害者の多くは、そのような状態で生まれなければならない、しかるべき理由を持っています。すべては理由を持っているのであり、あなたがたが理不尽な運命だと考えている当のものこそ、実は、至高の正義の表れであることを忘れてはなりません。
 精神障害は、高い能力を濫用(らんよう)したことに対する罰です。精神障害に陥った人は、二重の意識を持っています。一つは、常軌を逸して行動する意識、もう一つは、それを知りながら、制御(せいぎょ)することのできない意識です。
 知的障害児はどうかといえば、孤立して、物事を観照している彼らの魂は、肉体の楽しみからは無縁だとはいえ、普通の人々とまったく同じように、感じ、考えているのです。
 中には、自分で選んだ試練に反抗している者もいます。そうした体を選んだことを後悔し、霊界に早く還りたいと激しく望んでいる者もいるのです。
 精神障害者や知的障害児は、あなたがたよりもたくさんのことを知っており、無力な肉体の奥に、想像もつかないほどの強靭(きょうじん)な精神を潜ませていることを知らなくてはなりません。肉体が、怒り狂ったり、ばかな振る舞いをすることに対し、内部の魂は、恥ずかしく思ったり、苦しんだりしているのです。
 同様に、人々から、あざけられ、侮辱(ぶじょく)され、邪険に扱われると――われわれはそういうことをしないでしょうか?――彼らは、自分の弱さ、卑(いや)しさをより強く感じて、苦しむことになるのです。犠牲者が抵抗できないことをいいことに弱い者いじめをする人々を、もしもそれが可能であれば、きっと彼らは告発したことでしょう」

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(6)主人への献身のうちに生涯を閉じた女中――アデライド=マルグリット

 アデライド=マルグリットは、ノルマンディー地方のオンフルールという村の近くに住む、貧しく慎ましい女中だった。
 十一歳のときに、裕福な牧場主のところに奉公した。しばらくたってから、セーヌ川が氾濫(はんらん)したために、家畜が流されたり溺(おぼ)れたりしてすべて死んでしまい、その結果、主人が破産してしまった。アデライドは、エゴの声を押し殺し、良心の声に耳を傾けた。そして、貯めていた五百フランを一家に差し出し、その後も、給料なしで働くことを誓った。
 やがて主人夫婦が亡くなり、娘がたった一人残された。アデライドは畑を耕し、上がりをすべてその娘に渡した。しばらくして、アデライドは結婚したが、そうすると、今度は夫婦そろってその娘のために汗水流して働くこととなった。アデライドは、娘をいつまでも〈奥様〉と呼んでいた。
 こうして、この尊い献身は、半世紀近くも続いたのである。
 ルーアンの善行表彰協会は、この尊敬(そんけい)と感嘆(かんたん)に値する女性を忘却のうちに放置することはなかった。彼女に名誉のメダルと報奨金を与えて表彰した。フリーメーソンのル・アーヴル支部もメンバーからお金を募り、「彼女の生活の資に」ということで差し出した。結局、村が、細かな配慮とともに、彼女の生活の保障をすることとなった。
 やがて、彼女は突然、体の麻痺に襲われ、あっという間に、苦しみもなく、あの世に旅立っていった。葬儀は、簡単に、しかしきちんと行われた。村長代理が葬列の先頭に立った。

 一八六一年二月二十七日、パリ霊実在主義協会にて。

――招霊します……。神よ、マルグリットの霊に通信をご許可ください。

 「はい、ありがたいことに、神さまは、通信をお許しくださいました」

――地上にいらしたときに、素晴らしい生き方をなさったことに対して、心よりの賛辞を捧げます。こうしてお会いすることができて、たいへんうれしく存じます。きっと、あなたの献身は報いを受けたことでしょう。

「はい、神さまは、神さまの召使いに対して、愛深く、慈悲をもって接してくださいました。私がしたことを、あなたがたはほめてくださいますが、むしろあれは当然のことだったのですよ」

――後学のためにお伺いするのですが、あなたが地上で果たされた慎(つつ)ましやかな役割の理由は何だったのですか?

 「私は、今回の転生に先立つ二回の転生で、ともに、たいへん高い地位に就いていました。したがって、そのときに善行を積むことは容易でした。裕福でしたので、何の犠牲も払わずとも、慈善を実践できたのです。
 しかし、これでは向上が遅れると思いました。そこで、次には、『卑しい身分に生まれ、耐乏生活を送りながら善行を積む』という道を選んだのです。そのために、長いあいだ準備をしました。神さまは、私の勇気を買ってくださいました。
 こうして、私は、自分で立てた目標に挑み、天使たちの援助を受けつつ、それを達成したというわけなのです」

――そちらに還ってから、地上での主人ご夫妻にはお会いになりましたか? 現在、お二人との関係はどのようなものになっているのですか? いまでも、彼らに仕える立場なのですか?

「はい、お二人にはお会いしました。私がこちらに還ってきたときに、出迎えてくださったのです。これは驕(おご)りから申すのではございませんが、お二人は、私をお二人よりもずっと上の存在として扱ってくださいました」

――他の人々に仕えずに、あの二人に仕えたのには、何か特別な理由があったのですか?

「特にありません。他のところでもよかったのです。ただ、お二人はかつてお世話になったことがありますので、それをお返ししたいと思ったのは事実です。ある過去世で、お二人が、私によくしてくださったことがあるのです」

――次の転生はどうなさるおつもりですか?

「次は、苦悩のいっさい存在しない世界に生まれてみたいと思っております。こんなことを申し上げると、きっと、うぬぼれの強い女だと思いになるかもしれません。でも、素直に思い切って本心を言ってみたのです。もっとも、すべては神さまにお任せしてありますが」

――招霊に応じてくださり、まことにありがとうございました。神さまのご慈悲がありますように。

「ありがとうございます。みなさまに、神さまの祝福がありますように。そして、みなさまがた全員が、こちらに還られたときに、私と同じように、本当に純粋な喜びに満たされますように」

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(7)四歳で肢体不自由となり、十歳で亡くなるという経験について――クララ・リヴィエ

 クララ・リヴィエは、南フランスのある村に農民の子として生まれ、亡くなったときはわずか十歳であった。
 四歳のときに体が完全に動かなくなっていた。しかし、ひとことも不満をもらさず、苛立ったことも一度もなかった。まったく教育を受けていなかったにもかかわらず、彼女は、あの世で待っている幸福についてよく語り、心を痛めている家族を慰めるのだった。
 彼女は一八六二年の九月に亡くなった。四日のあいだ続けて痙攣(けいれん)に見舞われ、拷問のような苦しみに襲われたが、その間、絶えず神に祈りつづけた。
 「死ぬことは怖くないわ」と彼女は言った。「死んだら幸福な生活が待っているのだもの」
 そして、泣いている父親に向かって次のように言った。
 「悲しまないでね、またパパのところに戻ってくるから。わたし、もうすぐ死ぬわ。それが分かるの。でも、死ぬときが来れば、はっきり分かるから、教えるね」
 そして、最期が近づいたとき、家族全員を呼び寄せ、次のように言った。
 「あと五分で死にます。手を握っていてね」
 そして、そのとおり、五分後に息を引き取った。
 そのとき以来、騒擾(そうじょう)霊がやってきて、家中をめちゃくちゃにした。テーブルをがんがん叩(たた)き、カーテンをはためかせ、食器をがたがた言わせた。
 この霊は、当時五歳だった妹の目に、生前のクララの姿をとって映った。この妹によれば、クララの霊は、しょっちゅう話しかけてきたという。そのために、うれしくなって、ついつい、「ねえ、見て見て、お姉ちゃんはとてもきれいだよ」と叫んでしまうのだった。

――クララ・リヴェエの霊を招霊します……。

 「そばに来ています。どうぞ質問してください」

――あなたは、教育もなく、また、年もそれほどいっていなかったのに、どうしてあの世のことがあんなにはっきりと分かったのですか?

 「前回の転生と、今回の転生のあいだに、それほど時間がたっていなかったのです。そして、前回のときには、わたしは霊能力を持っており、今回もまた、そのまま霊能力を持って生まれてきました。ですから、わたしは、いろいろなことを感じたり、見たりすることができ、それをしゃべっていたのです」

――六年間も苦しんだのに、しかもまだ子供だったのに、どうして、ひとことも不平をもらさずにいられたのですか?

 「肉体の苦しみは、それよりも強い力――つまり守護霊の力――によって制御できるからです。守護霊がいつもそばに付いてくれていて、わたしの苦しみを和らげてくれました。守護霊のおかげで、わたしは苦しみに打ち勝つことができたのです」

――どうして、死ぬときが分かったのですか?

 「守護霊が教えてくれたのです。守護霊は一度も間違ったことを言ったことがありません」

――あなたは、お父さんに、「悲しまないでね、またパパのところに戻ってくるから」と言いました。こんなに優しいことを言う子が、どうして、死後に、家中を引っかき回して、こんなふうにご両親を苦しめるのですか?

 「試練、あるいは使命を持っているのです。わたしが両親に会いに来るとして、ただそのためだけに来ると思いますか? こうした物音、混乱、騒ぎは、ある意味での警告なのです。
 わたしは、他の騒擾霊に助けてもらっています。彼らは騒ぎを引き起こすことができ、わたしは、妹の目に見えるように出現できます。こうしてわたしたちが協力し合うことによって、霊の実在を証明しようとしたのです。両親も、そこまでやらなければ分からなかったでしょう。
 この騒ぎは、もうすぐやみます。でも、その前に、もっと多くの人々が、霊の存在をはっきりと知る必要があるのです」

――ということは、あなたが一人でこうした現象を起こしているのではないのですね。

 「他の霊たちに助けれらて、一緒にやっています。これは、両親にとっては一種の試験であると言ってよいでしょう」

――現象を引き起こしているのがあなた以外の霊たちであるとすれば、妹さんは、どうしてあなたしか見えないのですか?

 「妹には、わたししか見えないようにしています。わたしは、これからもしばしばやってきて、あの子を慰め、勇気づけるつもりでおります」

――どうして、あんなに幼いときに、肢体が不自由になったのですか?

 「過去世で過ちを犯したので、それを償う必要があったのです。わたしは、今回の直前の過去世で、健康と美貌(びぼう)と才能を濫用し、そして楽しみすぎました。そこで、神さまがこう言われたのです。

 『おまえは、法外に楽しみすぎた。今度は苦しんでごらん。傲慢だったので、今度は謙虚さを学びなさい。美しさゆえに驕(おご)り高ぶったので、今度は醜(みにく)い体に耐えなさい。虚栄の代わりに、慈悲と善意を学ぶのだ』
 そこで、わたしは神さまのご意志に従うことにしました。それを、守護霊が助けてくれたのです」

――ご両親に何か言いたいことはありますか?

 「両親が霊媒に対して、たくさんの施しをしたのは、とてもよいことだと思います。それは祈りの一種だからです。口先だけで祈るよりも、そのように、行為を通じて祈ったり、また、心の中で本心から祈ったほうがよいのです。困っている人に分け与えることとは、祈りであり、また、霊実在論を実践することでもあります。
 神さまは、すべての魂に、自由意志を、すなわち進歩する能力を与えられました。すべての魂に、向上に対する憧(あこが)れを植えつけられたのです。
 したがって、修道服ときらびやかな衣装のあいだの距離は、普通に考えられているほど遠いものではありません。慈善の行為によって、その距離を縮めることは可能となるのです。
 貧しい人を自宅に招き、勇気づけ、励ましてください。決して、辱(はずかし)めてはなりません。良心に基づく、この慈悲の行為を、みんながあちこちで実践すれば、文明国をむしばんでいる種々の悲惨が――それは、神さまが、人々に罰を与え、目を開かせるために送り込んでいるのですが――少しずつ消えてゆくはずです。
 お父さん、お母さん、どうか神さまに祈ってください。お互いに愛し合ってください。イエスさまの教えを実践するのです。人にされたくないと思うことは、人にしないでください。神さまのご意志は、聖なるもの、偉大なるものであることをよくよく納得して、そして神さまに祈ってください。あの世のことをよく考えて、勇気、忍耐とともに生きてくださいね。というのも、お二人には、まだまだ試練が残っているからです。あの世の、より高い場所に還れるように努力してください。
 いつもおそばにいます。それでは、さようなら。また来ます。
 忍耐、慈悲、隣人への愛、こられを大切にしてください。そうすれば、必ず幸せになれます」

 「修道服ときらびやかな衣装のあいだの距離は、普通に考えられているほど遠いものではありません」という表現は美しい。これは、転生ごとに、慎ましい、あるいは貧しい生活と、豪華な、あるいは豊かな生活を、交互に繰り返している魂の歴史を示唆(しさ)しているように思われる。というのも、「神から与えられた豪華な贈り物を濫用しては、それを、次の転生で慎ましい生活を通して償う」といったタイプの転生をする霊は、けっこう多いからである。
 同様に興味深いのが、国単位での悲惨が、個人の場合と同じく、神の法に違反したことに対する罰だとしている点である。もし、国民の多くが、慈悲の法を実践すれば、戦争も、悲惨な出来事もなくなるはずなのである。
 霊実在論を深く学ぶと、当然、慈悲の法を実践せざるを得なくなる。だからこそ、霊実在論はこれほど多くの執拗(しつよう)な敵を持つのであろう。しかし、この娘が両親に対して語った優しい言葉が、いったい悪魔のものだと考えられるだろうか?

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(8)謙虚さは人格を測る試金石――フランソワーズ・ヴェルヌ

 この女性は、ツールーズの近くの小作農の家に生まれ、生まれつき目が見えなかった。一八五五年に四十五歳で亡くなった。
 初の聖体拝域を受ける子供たちに教理を教える仕事をずっと続けていたが、教理が変更されても、何の支障もなく教えることがきできた。新旧の教理を完全に暗記していたからである。
 冬のある日、伯母と二人で遠出をした帰り、日の暮れはじめた森の中を通って帰ることになった。その道は、ぬかるんだひどい道で、しかも溝に沿っていたので、充分に注意して歩かねば溝に落ちる危険があった。
 伯母が手を引こうとすると、彼女はこう言った。
 「私のことは気にしないでください、落ちる危険はありませんから。肩のところに光が降りてきて、私を導いてくれるのです。ですから、心配なさらずに、むしろ私のあとについて歩いてください。私が先に歩きましょう」
 こうして、事故もなく、無事に家に帰り着いた。目の見えない人が、目の見える人を導いたのである。
 一八六五年に招霊が行われた。

――遠出の帰り道にあなたを導いた光について、説明していただけませんか? あれは、あなたにしか見えなかったのです?

 「なんですって? あなたのように、常時、霊とコンタクトをとっている方が、そんなことの説明を必要とするのですか? 私の守護霊に決まっているではありませんか」

――私もそのように思っておりました。しかし、確かめたかったのですよ。あの当時すでに、それが守護霊であると分かっていたのですか?

 「いいえ、あとで分かったのです。とはいえ、私は天上界の加護があることは確信していました。私は、とても長いあいだ、神さまに――善なる神さま、寛大なる神さまに――お祈りしたものです……。
 ああ、目が見えないということは、本当につらいものですよ! ……。そう、本当に。でも、それが正義であると知りました。目で罪を犯した者は、目で償わなければならないのです。これは、人間が与えられているすべての能力についてそう言えます。せっかく恵まれた能力を間違って使うとそうなるのです。
 ですから、人間たちを苦しめる多くの不幸について、因果律(いんがりつ)に基づく当然の原因以外の原因を探す必要はないのです。そう、それは償いなのです。しかし、その償いは、素直に受け止めて実践しないと、償いになりません。
 また、お祈りによって、その苦しみを和らげることも可能です。というのも、お祈りに天使たちが感応して、地上という牢獄にいる罪人を守ってくれるからです。悩み、苦しむ罪人に、希望と慰めを与えてくれるのです」

――あなたは、貧しい子供たちの宗教教育に打ち込まれました。そして、目が見えないにもかかわらず、教理をすべて暗記しました。どうしてそのようなことが可能だったのですか?

 「『一般に、目が見えない人間は、他の感覚が二倍になる』と言えば分かっていただけるでしょうか。彼らの記憶力は非常に強く、自分の好きな分野の知識を、まるで整理棚の引き出しに入れるようにして楽々と記憶できるのです。そして、いったん記憶された知識は決して消えることがありません。外部のどんな要素も、この能力を阻害することはできず、また、訓練によって、この能力はどんどん伸びます。
 しかし、私は例外に属していました。というのも、私はそうした訓練を受けたことがなかったからです。子供たちに尽くすために、神さまがその能力を私に与えてくださったことに対しては、もう感謝するしかありません。
 ただ、それはまた、私が前世でつくった罪に対する償いでもあったのです。というのも、私は、前世では、子供たちに対して悪いお手本となってしまったからなのです。
 こうしたお話は、霊実在主義者にとっては、まじめな探究の主題になりますね」

――あなたのお話をお聞きしていると、あなたがそうとう進んだ魂だということが分かります。また、あなたの地上での行動は、精神的な卓越性を説明するものだということが感じられます。

 「いいえ、私はまだまだ至らない存在で、勉強しなければならないことが山のようにあります。
 ただ、地上では、その知性が償いのためのヴェールをかぶっているために、それほど知的だとは思われない人々が多くいることも事実なのです。しかし、死によってそのヴェールが剥ぎ取られると、実は、そうした人々は、彼らを軽蔑(けいべつ)していた人間たちよりもはるかに知性が高かった、という事実が判明することがしばしばあるのです。
 よろしいですか。傲慢というのは、資金石みたいなもので、傲慢かどうかを見れば、その人がどんな人であるか分かるのです。お世辞に弱い人、自分の知識を鼻にかける人は、だいたい間違った道にいます。彼らはおしなべて誠実さを欠きます。そうした人々には注意なさい。
 キリストのように謙虚であったください。キリストのように、愛とともに十字架を負い、やがては天の御国(みくに)に還るのです」

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(9)娘を亡くし、悲嘆に暮れて亡くなった父親のその後――アンナ・ビッテの父親

 愛する子供を突然失うことほどつらい経験はない。しかしながら、「最も美しい希望となっていた、たった一人の子供、すべての愛情を注いでいた子供が、自分の目の下で、苦しむことなく、また、原因も分らずに、衰弱していくのを見る」ということは、科学的な知識を狼狽(ろうばい)させるに足る、最も奇妙な現象の一つであろう。
 あらゆる医療的技術を駆使(くし)したにもかかわらず、いっさい希望がないことを思い知らされ、毎日、いつ終わるとも知れない苦悩に耐えつづけるということ、それは、まことに恐るべき、拷問にも似た苦しみであろう。
 かくのごとくが、アンナ・ビッテの父親の立場であった。ゆえに、暗い希望がその魂をむしばみ、性格がますますとげとげしくなっていたとしても無理はない。
 そうした様子を見て、家族の友人のうちの一人――この人は霊実在論を信奉していた――が、指導霊に事情を聞いてみようと思い立った。以下がその答えである。

 「あなたがいま目にしている奇妙な現象を説明してみましょう。というのも、それは、あなたがこの子供に対して真摯(しんし)な関心を寄せているのであって、ぶしつけな好奇心から聞いているのではない、ということが分るからです。神の正義を信じているあなたにとって、それは大きな学びとなるでしょう。
 神に打たれることになった者は、神を呪(のろ)ったり、反抗したりせずに、素直に神の意志に従う必要があります。なぜなら、神が理由もなく罰するということはあり得ないからです。
 現在、神によって、どっちつかずの状態に置かれているこの娘は、もうすぐ、こちらの世界に還ってくることになっています。神がこの娘を哀れんでおられるからです。
 この不幸な父親は、たった一人の娘を愛するがゆえに、今こうして苦しんでいますが、実は、自分のまわりにいる人々の心と信頼を弄(もてあそ)んだことがあるのです。神はそれを罰しようとしました。しかし、その心の中に悔悟(かいご)の気持ちが生じたために、神は、娘の頭に振り下ろそうとした剣をしばし止めることにしたのです。だが、また反抗の気持ちが戻ってきたので、ついに罰が下されたのです。地上で罰せられる者はむしろ幸いなり。
 友人諸君、どうか、この哀れな少女のために祈ってあげてください。この子は、もう少しすれば、ようやく最後の息を引き取るでしょう。だいぶ衰弱しているとはいえ、この若木の中には、まだ樹液がたっぷり満ちているので、魂が離脱することは難しいと思われます。さあ、祈ってあげてください。
 のちに、彼女の霊は、あなたがたを助け、また、慰めることとなるでしょう。なぜなら、彼女の霊は、あなたがたの多くよりも進化しているからです。
 このようにしてお答えすることができたのは、主の特別なお計らいがあったかです。というのも、この霊が肉体から離れるためには、あなたがたの支援がぜひとも必要だからなのです」


 子供を失った空虚感に耐えられずに、父親も、間もなく亡くなった。死後、娘とその父親から伝えられたメッセージを、以下に揚げることとしよう。

 娘:「哀れな女の子に関心を示してくださって、どうもありがとうございました。さらに、指導霊のご忠告に従ってくださいましたことにも、深く感謝申し上げます。
 ええ、あなたがたのお祈りのおかげで、比較的、楽に体から離れることができました。お父さんときたら、お祈りもせずに、呪ってばかりいましたね。もっとも、それを恨んでいるわけではありません。私を愛するがゆえに、そんなふうにしたのですから。
 私は、お父さんが、死ぬ前に、早く目覚めることができるようにと神さまにお祈りしました。私は、お父さんを励まし、勇気づけました。私の使命は、お父さんの最期を苦しみの少ないものにすることだったからです。
 ときには、神聖な光がお父さんを貫いたようですが、それは一時的なものにすぎず、すぐに、またもとの考えに後戻りしてしまいました。信仰の芽はあったのですが、世俗の関心に押しつぶされてしまいました。新たな、より恐るべき試練でも来ないと、その芽は育たなかったのでしょう。
 私はといえば、もうすぐこちらでの償いも終わります。私の罪は、そう大きいものではなかったのです。だからこそ、また、地上での償いも、それほど苦しくも、難しいものでもなかったのですが。
 私は、病気になっても、苦しくはありませんでした。私はむしろ、お父さんに試練を与える道具として使われたと言ってよいのです。私自身は苦しんでいなかったのですが、病気の私を見ることで、お父さん自身が苦しむ必要があったのですね。私は運命を甘受(かんじゅ)していましたが、お父さんはそうではありませんでした。
 現在、私は充分に報われています。神さまは、私の地上での滞在の期間を縮めてくださいました。たいへんにありがたいことです。私は、天使たちに取り囲まれて、とても幸せです。私たちは、全員、喜びとともに仕事に励んでおります。天上界では、仕事をしないことは、まるで拷問を受けるようにつらいことなのですから」

 死後一カ月して送られてきた父親のメッセージ

――現在、霊界でどのように過ごしていらっしゃいますか? もし可能であれば、ご援助申し上げたいのですが。

 「霊界だって! 霊なんかいやしない。以前知っていた者たちが見えるだけだ。もっとも、彼らは私のことなど、これっぽっちも考えていないみたいだし、私がいなくなって残念だと思ってもいないようだが。むしろ、私が死んでせいせいしているようだ」

――いま、どんな立場にあるかお分かりですか?

 「もちろんだ。少し前までは、まだ地上にいると思っていたが、いまでは、もう地上にいないことはよく分っている」

――それなら、どうして、まわりに他の霊たちが見えないのですか?

 「そんなことは分からん」

――娘さんとはまだお会いになっていないのですか?

 「まだだ。あの子は死んだ。だから捜しているんだが、いくら呼んでも応えがない。
 あの子が死んだとき、地上に残された私は耐えがたい空虚を味わった。死ぬ段になって『これでようやくあの子に会える』と思ったのだ。だが、死んでみたら何もなかった。孤立があるばかりだ。誰も話しかけてくれない。これでは、慰めも、希望もないではないか。
 それでは、さらば、娘を捜さねばならないのでな」

 霊媒の指導霊:「この男は、無新論者でも唯物論者でもありませんでしたが、漠然とした信仰しか持っていませんでした。神のことを真剣に考えたこともなければ、死後のことに思いをめぐらしたこともなく、ひたすらに地上の俗事にまみれて生きたのです。
 娘を救うためならば、何でも犠牲にしたでしょうが、しかし、一方で、自分の利益のためならば、他人を犠牲にしてはばからなかったのです。つまり、ものすごいエゴイストだったということです。娘以外の人間のことは、考えたことさえもありませんでした。
 すでにご存知のように、神はそのことで彼を罰したのです。地上において、彼からたった一人の娘を取り上げ、それでも悔い改めなかったので、霊界においても、彼から娘を取り上げました。また、彼は誰にも関心を示さなかったので、こちらでは誰も彼に関心を示しません。それが彼に対する罰なのです。
 実は、娘は近くにいるのですが、それが彼には見えないのです。もし、彼に娘が見えればそれは罰にはならないからです。 彼はいま何をしているのでしょか? 神に向かっているのでしょうか? 悔い改めているのでしょうか? いいえ、文句を言うだけです。神を冒涜(ぼうとく)さえしています。要するに、地上でしていたのと同じことをしているのです。
 お祈りをし、忠告をして、彼を助けてあげなさい。そうしないと、いつまでも、この盲目状態が続くことになります」

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《第七章》厳しい試練を経験した霊 / 天国と地獄《Ⅱ》

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